第4話:ゲームは本当に有害か?

'98年01月02日記す
この文章を書いているのは、98年の1月2日の未明である。....昨年の12月 16日におきた、例のポケモンのアニメの事件で、ポケモンというゲーム自体の 安全性に付いても取り沙汰されていたし (個人的には原作のゲームを攻撃するのは、 お門違いだと思うんだけどねぇ....だってゲームボーイやっていて てんかんになった訳じゃないんだから....それはさておき)、 以前から、ゲームによっててんかんに似たような症状が生じる可能性がある、 なんて話は話題になっていた。これの真偽はまだグレーゾーンにある段階で はっきりとした事は言えないのだけど.....

....考えてみれば、てんかんの話に限らず ゲームって昔からいろいろ言われていたよね。 ゲームに没頭して勉強出来なくなるとか、外で遊ばなくなるとか、そういう話も そうだけど、去年大きく揺れたのが、例の酒鬼薔薇の事件で ゲームと現実の区別が付かなくなるだなんて言われてた 事、これがとりわけ重要だと思う。

以前友達から聞いた話だが、酒鬼薔薇事件の時、ラジオで 「ゲーム世代のリセット感覚」 という言葉が出ていて 伊集院 光がその言葉に腹を立てていた、という のがあったそうだ。ここで結論からいうと、 僕はここで伊集院 光が腹を立てた事に同感である (まぁそれはこのエッセイのタイトルから見ても 明らかかもしれないが念のため)

なぜなら、ゲームというのは既に子供達の娯楽として (PSのコピーであった「よい子とよい大人の〜」 に現れているように大人達がやっても楽しいのだが それが定着しているかどうかは疑問だ(^-^; 定着して欲しいんだけど) 既に定着しているわけで、国内だけで のべ何百万台とか売れている(※1)のだ。 もし、ゲームにそんな大きな問題があって、ゲームと現実の区別がつかなくなるとしたら、 たちまち何千、何万の凶悪犯を出す事になる訳である。しかし、実際にそのような事態に なっているとは思えない。
それよりもむしろ、ゲームというのは我々にいろいろと恩恵を与えてくれているのだ。 そちらの方を考えてみると、「現実とゲームの区別が付かなくなる」などという 実証されていない理由で、ゲームから子供達を引き離そうとしている (かどうかは知らないが)人たちに、言われた方が腹を 立てるのは当然ともいえる。なぜなら、そういう事を言われても、全くそういう実感が わかないのだから。
恐らく、「ゲームと現実の区別が云々」という大人達は、仮想現実の世界を見て来て いないで育っているので、彼ら達自身と同じく子供達もゲームと現実を見分けられないと でも思っているのだろう、しかし、小さいころからゲームをやりながら育った子供達なら、 それに慣れているのだから、逆に彼らよりはるかに現実の世界とゲームの世界の区別を する目が肥えているとも言えるのだ。....といった話もどこかで聞いた事がある。 こういう意見は、僕に限らずたくさんの人が様々な理論を出している事なので、 これについて深く突っ込む事はしないが、....

....つまり、「現実とゲームの区別が云々」という言葉を聞いて、 「そんなことはない!」と腹を立てている人達には、 この言葉は全く当てはまらないだろうし、第一彼らがそういう心配とは無縁である事は、 彼ら自身が一番よく知っているものであるといえる (※3)のである。そして、 ほとんどの人間が、この「彼ら」の中に当てはまるのだ といえる。
(※3): この文章では、このように「現実とゲームの区別が云々という話を聞いて、 腹を立てている人は大丈夫」みたいに、「大丈夫」という表現を使っているが、 これを読んで、「それは買いかぶりすぎなんじゃない?」という意見も予想されるので あらかじめ誤解のないように言っておく。 確かに、「絶対に安全」なんてことは無いと思う。だって、どこにどんな危険が 潜んでいるかは分からないから。でも、ここではそういう理論的に予測できないものは パスして、とりあえず理論的に予想される危険に 照らし合わせて考えると、ということなのである。 もっとも彼らにだって、後述の「危険を忘れて大きな落とし穴にはまる」という危険は 常に持っているというのには自分も否定しない。 でも、それを回避するためにこの文章を書いているのだし....そういうことなのである。

しかしそれでは、世に存在するすべてのゲームで遊ぶ人間がそうなのか? 誰もが、「ゲームと現実の区別が付かなくなる可能性がない」と 断言出来るのか?世の中に一人として そんな人間がいないのか?という質問をされたらどうだろうか。
例の回のポケモンを見ていた子供達の中で、 てんかんに似た発作を起こして倒れた子供達は、5000人に 一人とも7000人に一人とも言われているが、そのくらいかもう少し 少ない割合で、なら、「ゲームと現実の区別が付かなくなる可能性がある」 子供達がいてもおかしくないのではないか?自分にはそう思えてならない。

「自分にはそう思えてならない」と書いたが、これには実はれっきとした 根拠があるのだ。....このエッセイを読んで来た人の中には、分かった人も いるかもしれないが、そう、

まさにこの私が、ゲームと現実の区別がつかなくなる可能性が高い

といえるからなのである。今から、その説明をしていく。

以前、僕はRPGにはまっていた。....というか、今でもそうだが。 僕は、反射神経の鈍さでは、他人に負けないと思っている (かなり情けないぞ(-_-;)。 ゆえに、自分はマリオもろくにプレイできず、 投げ出していたのだ。 その点、RPGなら手先のテクニックを要求しないので、非常にいい。 そういうわけでRPG、特にドラクエ3にはかなりはまった。(皆さんも 一時期はそうだったのではないだろうか?最近SFC版も出た事だし。)
自分も例に漏れず、クリア後もレベルを上げまくり、 中学校から帰って来たらすぐにファミコンの電源を入れ、プレイしていた。 その結果、転職もして、呪文が全部使える最強の戦士をつくり、 それだけならまだしも、それを「バックアップが消えたらおしまいだ!」 といわんばかりにビデオテープに保存するという、 かなり妄想入っていることをしていたのである。
....これだけでもかなり、 ゲームと現実の区別をつけていない要素が10%〜15%くらい 入って来ている気がするが、実際はこんなもんではなかったのである。 そう、中学校の2年後半あたりからは、自分は常にゲームの話ばっかりしていた時期が あり(これは、高校に入ってもしばらく続いていた....らしい)、多分、 自分の生活が、ゲームを中心に回っていたような感じ だったんだろう、そのころの自分の事はよく覚えていないが。
そういえば、僕が中学校のころといえばゲームボーイが始めて世に出たころで、 中学生の僕は、こっそりテトリスをよく学校に持っていって友人と対戦で遊んだもの である。あのころの、ゲームボーイ黎明期に出ていたRPGといえば 「魔界塔士Sa・Ga」(※2)というのがあったが、 これは20回くらいはクリアしている。ゲームボーイという携帯型ゲーム機のおかげで、 それこそ僕は一日中場所を選ばずにプレイしていたような気もする。 もう、何かやらかせば「ゲームと現実の区別が云々」と 言われないはずがない状態にあったといえる。

さて、そんな中で中学生の僕はある日、目が覚めてふとこんなことを思っていた。 「なんか金持ちになっていた気分」と。そのころ金欠で悩まされていたのである。 実はその前の夜、ゲームに明け暮れていて、そのゲームの中で、所持金がかなり 多かったというだけのことなのである。....そう、現実では 金を持っていなかったが、ゲームの中で金を稼いで、金持ちになっているように 実感してしまったのである!
....ここで「実感」という言葉を強調したが、つまり これは、「ゲームの中の出来事なのに、『ゲームの中の出来事だ』という客観的な 判断なのではなく、あたかも現実の出来事のように感じてしまった」という事なのである。 勿論、目が覚めて30秒もたたないうちに、「あ、あれはゲームの中の話か」と気づき、 ちょっとさびしい気持ちになったが、この30秒のあいだ、まさに自分は 「ゲームと現実の区別がつかなくなっていた」のである。
そう、よく「恋愛ゲームで仮想の恋愛に浸っている奴っていやだ」とかいって、 そういうゲームにはまっている人を批判する声は聞く。 自分はそういうタイプのゲームをプレイしない人なので何ともいえないが、 彼らだって「ゲームだと分かって」やっているのであり、「現実だと思い込んで」 やっているのではないのである。しかし、僕のその30秒は、明らかにゲームの中の世界を 「現実だと思い込んで」しまっていたのである!

まぁ、こんな話も、普通の人なら「笑い話」で済ませられる事である。しかし、僕の場合、 普段の生活が前述のように「ゲームの中に生活がある」といった状態になっていたので、 これに少し拍車がかかれば、例の「ゲームと現実の区別が付かな」くなって、その結果 最悪の場合、警察のお世話になったりしてしまっても全く不思議ではなかっただろう....

 そのような時期を経て、今の自分は、「朝から晩までゲーム」なんてことはない。 しかし、一時期自分はゲームと現実の区別が付かなくなりかけていた 可能性があった....そのことを考えるたびにぞっとするのである。

そう、僕の例を見ても明らかなように ゲームは手放しに安全とはいえない、と言いたいのである。 ....それでは僕が「ゲーム世代のリセット感覚」とか言っていた知識人 (以下、彼らのような人間を、「似非知識人」と呼ぶことにする。) の肩を持っているのかというと、そうなのでもない。 むしろ、彼らに対して我々も正当な反論が出来るように、問題点を 指摘している、とでも言ったところである。
実際のところ、彼らに対する反論には、「ゲームと現実の区別が付かなくなる なんてありえない」「ゲームは絶対に安全」「我々からゲームの楽しみを 奪おうと、問題をすりかえている」といった類のものをたまに見かける。 しかし、反論はただすればいいというわけではなく、 反論だってきちんと筋が通っていなければならないと思うのだ。 さもなくばまた、似非知識人がつけいる隙を与えてしまうわけなのである。 (まぁ、ここらへんのくだりは、 いかなる話においてもいえる事だと思う。 つまり議論では、時には、自分の持つ非を認めていくことも 重要なのだという事なのだが、いかがなもんだろうか。)

結局ゲームは、大人達が「危険だ」というほど危険な代物ではないのだ。 その代わり、(これは人間が生み出したもの全てに いえるのだが!)安全だと思って甘く見ていても恐ろしい事になるのである。 我々は、日常でそれをふと忘れかけてしまっている。 つまり、ゲームが安全だからといって、そればかりずっとやっていれば、最悪の場合 白内障にもなってしまうだろう。 また、今回のポケモンアニメのてんかんの話にしても、 倒れた子供達の健康状態にもなにか関係がありそう だというのも仮説ではあるが言われているのである。 ....そう、ゲームも度を過ぎてやれば体に悪影響を及ぼす のだし、さらにゲームをやりすぎて健康状態がサイアクになったりすれば、 その時、ゲームが闇の顔を見せはじめないとも 限らない.....。そうならないように、我々は普段からきちんと健康管理 などをやっておくべきなのである。

以上の結論は、みなさんに、そして僕にとっても 『当たり前』の結論だ、といえる のではないだろうか、 「そんなの、言われなくても気を付けてるよ」って、 そういえる人なら問題はない、といえるだろう。 しかし世の中、そうでない人もいる。 ....端的な例を挙げるならば、かくいう僕が 仮に小学生のころにポケモンが出ていたとして、僕が寝食を廃してやって 体を壊していなかったという保障などどこにもないのである。 そういう人に分からせるためには、こうやって 改めてゲームの持つ裏の側面を考える事が重要 なのだと思う。

そして、今回のポケモンのアニメの事件が、まさしくそのいい機会になっていると 思うのだが、どうだろうか。我々は、これを機に もう1度自らのことを真剣に 省みてみる事が重要なのかもしれない.... かく言う僕も、この文章を見てのとおりかなりいろいろ考えていた一人ですが。

最後にヒトコト言わせて..... テレビ東京さん、 出来るだけ早く、ポケモンアニメ再開してください....それと皆さんも、 テレビ東京のHPにある「ポケモンに関するお問い合わせ」の 送信フォームに書き込んで送ってくれると嬉しいです。

(更新時注:)こうして晴れて98年の4月にポケモンのアニメは再開されて 今にいたる訳です。


(注
 ※1のべ何百万台とか売れている 97年9月末までの国内でのテレビゲーム機ののべ出荷台数は、 GB(ゲームボーイ)1685万台、SFC(スーパーファミコン)1696万台、 N64(ニンテンドウ64)247万台、SS(サターン)520万台、 PS(プレイステーション)860万台。 (参考文献:週刊ファミ通1997年12月26日号)
 ※2「魔界塔士Sa・Ga」 スクウェアが89年の暮れに出したゲームボーイのRPG。最近PSで出た 「サガ・フロンティア」に代表されるサガシリーズの源流ともいえるゲーム。 職業では無く、種族があり、人間・エスパー・モンスターと分かれており、 (続編の2では、これにさらにメカが加わり、3ではサイボーグが加わる) モンスターは敵の落とした肉を食べる事で変身するという、 当時では相当斬新なシステムを取っていた。

さらに次の話も読んでしまう

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