ここ数年、僕は「自分はなぜか少数派なんだなぁ」と常に思ってきた。
それは、自分が現にFMタウンズなんていうパソコンを使っていたり、ゲーム機にしても
未だにプレステを持っていないがN64は持っている
(※1)ということにつけても、
十分に分かることなのだが、どうしても少数派なものに惹かれてしまうんだなぁ、
とも思っていた。
しかし、最近になってそれは違うと思いはじめたのだ。それは僕が、「少数派な
ものが好き」なのではなく、「自分の好きなものがたまたま少数派」ということに
すぎないんだ、ということである。
今回はそういう話について書いていこうと思う。
最近、DQ5の事を思い出した。プレイされた方ならご存知の通り、
DQ5には結婚のイベントがあり、そこで2人の女性のどちらかに
プロポーズできるようになっている。
一人は自分の幼なじみのビアンカであり、もう一人は、お金持ちの
ルドマンさんの一人娘のフローラである。詳しい事はこの話には関係ないので
省くが、
一度目のプレイで僕はこの2人の女性のうち、フローラを選んだ。
大体、プレイヤーがどちらを選んでもおかしくないように、
いろんな要因がつくられ、状況が複雑になっていたはずである。
自分はどちらにしようか悩んだ末、結局「ビアンカは幼なじみだからここで結婚しなくても
またいつでも会えるだろうけど、ここでフローラと結婚しなかったらもう
付き合いがなくなっちゃうだろうな」と考え、フローラにしたはずだった。
しかし当時、他の人に聞いてみると、みんな一度目はビアンカと結婚していた
というではないか。なんと、僕の周りで
最初のプレイでフローラを選んだのは僕一人だったのだ。
その後、ファミコン通信(現ファミ通)で読者アンケートも行われたが、フローラを
選んだプレイヤーは何と2割弱だったのである。その時僕は何となく思った、
「ああ、俺って少数派なんだなあ....」
かくして僕はいつも少数派だが、このように「少数派に同情して選ぶ」のではなく、
「僕が選んだものが少数派になってしまう」のである。
ひょっとしたら、僕のDNAそのものが少数派を選ぶように
インプリントされているのかもしれない。
しかし、もう一歩考えてみたのだが、これってたまたま自分が我が道を貫き通している
から、その裏返しなんじゃないだろうか、と。
そのように思ったひとつの事例を挙げよう。
僕には妹がいる。妹は僕を知っている人が見ると驚くくらい普通の女子大生である。つまり、
流行を追い求めているのである。そして、流行の雑誌などを読み、携帯電話を持ち歩き、
髪の毛を染め、ピアスをし、アルバイトで稼いだお金の一体何割をファッションに費やしている
のだろうか、と思うのである。
別にこの文章は「現代の若者の風紀の乱れなんて」なんてものを考える文章ではないので
細かい話は省略するが(※2)、
つまり「流行ばっかりに流されていて、自己表現しようなんていうのがまったく感じられない」
ってことなんだけど。
しかしそんな妹でも、家に帰ると流行とかとか全然関係無いいろいろな趣味を持っている。
いろいろあるが、一つ例を挙げると、「横浜銀蝿を聴く」なんていうのは結構それなんじゃないだろうか。
僕はこれを見ていてさとった。
つまり、みんながマイナー指向ではないのは、他人と接するときは自分が好きなものを前面に
出すのはやめて、いわゆる流行りのものにしておけば無難だろう、みたいな考えからであり、
自宅に帰って一人になったら案外みんなマイブームに没頭している、なんていう人も割といるんじゃ
ないだろうか、と思ったのである。
なんだ、みんなも自分自身のマイナーな趣味は持っているけど、
ただそれを他人には打ち明けないだけなんじゃないだろうか。
しかし、である。
たった今こうやって安心してしまったが、それなら自分は完全に「普通」なのか?
結論から言うと、これもまた違うと思う。
それじゃ、何が違うのだろうか?それは、一言で言うと、「センス」である。
つまり、「他人の前ではあまり趣味を出さないけど、マイブームは持っている」とか、そういうのが同じだとしても、
その「マイブーム」の内容が問題だ、ということである。まあ、これは僕と接したことのある人は
大体分かるのだろうけど、
他の人のマイブームは、「300人に一人」が持っている趣味だとしたら、
しかし、この「センス」というのは非常に厄介なんだけど、それでもやっぱり自分がそういうものを 持って生まれてしまった以上、仕方がないんだよなあとも思う。 結局、ものすごいセンスを持って生まれた人間は、そのセンスを生かす方法を考えるために、 そしてそのセンスゆえにいろいろと悩んでいくんだろうなあ、と痛感したのでした。