ポケットモンスター

ジャンル:RPG
ハード:ゲームボーイ
メーカー:任天堂
定価:¥3900()、 ¥3000()、¥3000(ピカチュウ
発売日:1996年2月27日(
    1997年(
    1998年9月12日(ピカチュウ
備考:ピカチュウの 4バージョンがでている。

ゲームの内容:言わずと知れた、小学生の間で定番になり、カードが出て、アニメにもなり 様々なグッズが出て社会現象になって定着したポケモン。そんな現象のすべてのはじまりが、 まさにこのゲームボーイで出たこのゲーム「ポケットモンスター」である。

任天堂のポケモン赤のページ
任天堂のポケモン緑のページ
任天堂のポケモンピカチュウ バージョンのページ

おことわり:
ポケモンの話だということで、子供にも分かりやすくかいたつもりだけど、 子供にはあまり面白くない話になってしまったような気がします。
近いうちに、書き直すかもしれません。

 これを読んでいる人の中でポケットモンスター(以下、ポケモン)を知らない という人は多分いないんじゃないかと思います。 僕は、今のように有名になる前からポケモンをプレイしていました。 そして、そのころからこのゲームを面白いと感じており、 「みんながこのゲームをプレイしてくれるようになれば 僕も誰かと交換できるのに」と考えていたので、 今、ポケモンが大人気で、とてもうれしいです。 でも同時に「ここまで有名になるなんて」とおどろいてもいます。

●有名になる前からプレイしていた僕

 僕がこのゲームのことを知ったのは1996年2月、 とあるゲーム雑誌でポケモンのことが しょうかいされていたときでした。 「ゲームボーイのRPG」というのをみて、僕は「面白そうだな」と思いました。

 さいきんゲームボーイを始めた人に話すとおどろくかもしれないけど、 このとき、このゲームは「いまさらゲームボーイでゲームをだすの?それも RPGなんかだすの?」というふうに言っている人がたくさんいました。

でも、僕は、このゲームは 好きになりました。 それは、僕がゲームに付いてこういうことを考えていたからです。 「もうファミコンでゲームが出なくなって、それどころかスーパーファミコンの 次のゲームマシン(ニンテンドウ64のこと)が出ることになっている。 そうなったら、スーパーファミコンでもゲームが出なくなっちゃう。 でも、僕はまだまだファミコンが好きなのに」
つまり、僕はファミコンのゲームみたいに、そしてこのポケモンみたいに、 絵は たんじゅんでいいから、長いあいだあそべるゲームがほしかったのに、 このころは「次世代機戦争」とも言われるくらいポリゴンのゲームばかりが でていて、僕が おもしろいと思うゲームが なくって、むかしに出た ゲームばかりやっていたのです。
「もうゲームなんかやめようか」とすら考えていました。

いまは、ゲームボーイが大人気のおかげで、 ファミコンのころに出たゲームがゲームボーイで出たりしているし、  そうでなくてもファミコンゲームはたくさんの おとなたちが なつかしがって話をしています。 でも、ポケモンがでたころは、次世代機(プレイステーションとかセガサターン)が 大人気だったときで、ぼくが友達に話を聞いても「え、なに、スーファミ? スーファミはね、実家に置いてきたよ、今サターンしかない。」 なんことを言われたこともありました(当時はプレステよりサターンの方が人気が ありました)。 つまり、ファミコンは完全に「時代おくれ」と言われていた時代だったのです。 そしてゲームボーイも同じように「時代おくれ」になろうとしていました。(※1)
 そんなわけで、僕の友達はだれもこのゲームが出たことをよろこんでいませんでした が、僕は本当にうれしかったです。

僕がお店に行った時、もう赤は売り切れていて、緑しか のこっていませんでした。 それで、ポケモンの緑を買って家にもどりました。 「きっと、おもしろいゲームにちがいない」という僕の期待は 見事に当たり、「グラフィックはファミコン並みの たんじゅんさだし、 BGMもファミコンをやっているみたいだけど、 ゲームは非常に面白い!うぅぅぅ、これこそ僕の求めていたものだ!」 そんなふうに考えて、感動していました。

 さて、ポケモンの人気の秘密といえば、 何といっても「友達と通信ケーブルで交換したり対戦したり」 ということができることです。
 でも、そのころのぼくの周りには、ポケモンをやっている ともだちは だれも いませんでした。さびしかったです。 その後、僕がゲームボーイを買ったのは、「ゲームボーイポケット」が発売されて その時に買ったので、待って正解だったというわけです。 そうそう、「ゲームボーイポケット」の話が出たついでに話をするけど、 たまに「ポケットモンスターっていう名前はゲームボーイポケットで 遊ばないといけないんだよ」なんて話をする人がいるけど、 そんな人はゲームボーイポケットの方が後で発売されているということを 覚えておいた方がいいです(^^;。

●たまごっちが1万円とかしたころ

 さて、そういえば一時期たまごっちが凄いことになっていましたよね。 僕の友達も、とても欲しがっていました。 でも僕は、それほどほしくはならなかった。 ほかの友達は、「今うれば1まん円もするんだから、ならんで買って 欲しい人にうってやろう」なんていっている人もいた。いやはや。

このころ、ポケモンの名前もすこしずつ ゆうめいになってはきていたけど、 まだ たまごっち方がゆうめいだった。 まだこのころは今ほど公園や駐車場でゲームボーイに通信ケーブルを さして対戦や交換をしている子供達の姿はみかけなかったものである。  そのころは僕はポケモンはすっかりしまい込んでしまっていた。
そして今、たまごっちはすっかり影をひそめてしまったが、ポケモン人気は まだまだ続いている。

それから何カ月か経ったある日、ポケモンがアニメになるという話を 聞いた。このころの僕は、あまり見てみようという気持ちはなかったけど、 見た。そしたら、すごく面白かった。とくにすごいと思ったのは、ゲームの中の BGMをそのままつかっているところだ。僕は、そのおかげで 自分がやっていたポケモンのことを思い出した。じてんしゃにのっているときの 音楽が僕はだいすきだったから、その音楽がながれているのを聴いて、 おもわずゲームボーイのスイッチをいれた。
そして数週間後、僕は緑だけじゃなくて、赤のポケモンとゲームボーイポケットを 買ってしまっていた。

●「隠れた名作」だったのが映画にまでしてしまったなんて....

そして今では「小学生といえばポケモン」というイメージが定着している。 今公園にいけば小学生がゲームボーイをやっているのをよく見かけます。 そして、その中のかなりの子供たちがこのポケモンをやっている。 他のゲームをやっている子供たちも、 やっているゲームは大抵「遊戯王」だったり「ドラクエモンスターズ」だったりと、 ポケモンの人気でゲームボーイをみんながやるようになってからのゲームが ほとんどだ。

さて、僕がそんな子供たちを目にするようになったのは、97年の春頃からだ。 僕は、このころ、ゲームボーイを持って外に行くようになっていた。 のりものの中でも、ポケモンをやっている子供をみかけるようになったし、 そんな子供たちに、「やあ、君もポケモンやっているの?僕と交換しない?」 という風に声をかけていこうかと思ったものです。

僕がひとりさびしくやっていたゲームを、いまや子供たちがみんなやっているように なっているのをみて、うれしくおもっています。

●好きなポケモン

ところでみんなはどのポケモンが好きでしょうか?僕の回りに話を聞くと、 やっぱりピカチュウが好きな友達が一番多いです。でも、僕はスリーパーが だいすきです。僕の顔に似ているからです。
僕はピカチュウのぬいぐるみを、部屋に飾っています。でも、スリーパーは かざりたくありません。


(↓ここから、すこしむずかしい話です)

●ポケモンのアイディアと任天堂の実現力

そしてここからは、僕が「どうしてポケモンはここまで大人気になったのか」という ことについて考えたことをかいてみます。

 ポケモンには、たくさんの新しいアイディアがありました。 それは、「対戦、交換、収集、育成」という言葉をみんなも聞いたことがあると 思うけど、これらのアイディアが本当に新しかったのだと思います。 これらの話については、僕は細かくはなすことはしません。それは、 あちこちでたくさん語られているから、何度も読んだ、と言う人がおおいからです。 でも、大事だとおもうことだけは書いておきます。

僕はポケモンが発売される前に出た本「新ゲームデザイン」 (※2)にのっていた、ポケモンについての話を読んでいろいろと 「いいなあ」と思ったのをおぼえています。
この「新ゲームデザイン」は、ポケモンの生みの親の田尻智の書いた本で、 ゲームの作り方や、田尻智がゲームをどうやって作ってきたかについて 書いてある。
そこで、ポケモンを作る時に考えたことも書かれており、 「ゲームボーイの通信ケーブルを見たとき、 アイテムか何かの交換が出来たら面白いRPGが作れそうだ」と考えたのだという。 まあこれが「交換の楽しさ」なんだけど、実はこれだけで終わっていたとしたら、 ここまで評判は出なかったと思う。

 しかし、ここからがポケモンの凄いところである。ポケモンは「集める楽しさを重視する(収集)」 をウリにしているのだが、この「交換」を有効に活かすためにパッケージの色を分けることにした のだという。
 どうやら田尻智本人は「ニューゲームのときにプレイヤーにIDを割り振って、奇数であるか 偶数であるかによってポケモンの出現するタイプを分けるようにしようか」と考えていたのだと いうが、任天堂の宮本茂の提案によって(ここ、記憶があいまい、間違っていたら指摘して下さい) 「パッケージの色を分けて売り出したらどうや」というアイディアが出たという。そしてそれは 「同じ内容のゲームを2本に分けて売ったりして大丈夫か」という声が任天堂社内では 大きかったそうで、実際ポケモンのパッケージにも、「赤と緑、内容は同じです」という 文章が印刷されているのを見るにつけ、「いろいろあったんだな」と考えさせられる。 しかし、あえてそれを実行するという冒険に出てくれた任天堂はやはり凄いと思う。

 そしてもうひとつ「なんとまあ思い切ったことをしたもんだ」と僕が思ったのは、 「赤と緑、どちらか一方ではポケモン図鑑を完成することは出来ない」というシステムだ。 つまり「ポケモンをプレイしている友達や兄弟と交換してね。でないと図鑑は完成させられないよ」 ということです。そして99年の今では、小学生達はみんなそれをやっているし、だれも 変なことだとは思っていないでしょう。しかし僕は最初これを見て、 「う〜ん」と思ったことを思い出します。
なぜなら、当時の僕はこんなゲームを一緒にプレイしてくれる 友達なんて周りにいなかった、というかそれ以前にゲームボーイをやっている友達自体が 全くいなかったからです。そして「本当にわざわざ友達と通信交換して図鑑を完成させようと する人は少ないんじゃない?」と思っていました。
 実を言うと当時、僕は大学でも友達がなかなか作れず孤独を感じていた時代であり、 パソコン通信にどっぷりはまり込んでいた。それだからこそこのゲームをやって 友達のいない寂しさをより実感したのであった。 「ゲームボーイとポケモンをもう一式そろえて一人でプレイする事も考えた」という風に書きましたが、 それをそのころの僕が実行に移さなかった最大の理由は、「一人でやるとよけいに むなしくなるから」 じゃないだろうか、今から考えるとそう思います。  ....そういえば一度、「見知らぬ友達とポケモンを通信交換している」という夢を 見たときもあって、目が覚めたときに非常にむなしい気持ちに なったこともあった。
つーか、何を書いているんだ僕は!!!
まあ、とにかく普通のゲームならわざわざゲームボーイをもう1台買ってまで通信機能を使うものでは なかったが、このゲームは実にうまく通信を使っている、ということが言いたい んだけどね。
(そういえば、「交換されたポケモンは、その他のカートリッジではもらえる経験値が多い」という システムについても、 これのおかげでみんな交換をするようになっており、「うまいなあ」と感じさせて くれるのである。)

ちなみに、ポケモンを作る時に考えたエピソードとしては、知らない人のために書いておくと、 他にも
「田尻智は昔昆虫が好きな少年で、その昆虫採集の楽しさをポケモンに 盛り込んでいる、だから『虫取り少年』とは田尻智の少年時代がモデルだ」とか、
「制作するのに6年かかっている。何度も何度もやりなおして繰り返された結果、これだけ完成した 作品が出来た。田尻智は『6年かければ誰でも良いゲームが作れる』とも言われたが、『誰も 一つのゲーム作るのに6年かけませんよね』というのが田尻智の回答。確かにこれだけの時間を かけられるのは任天堂くらいのものだろう」みたいな話とか、
「バックアップメモリの容量の関係から、ポケモンに名前を付けると30匹くらいまでしか 保存できないという制約があった、でも、どうしてもポケモンには一体一体自分の名前を 付けたがっていた田尻智を見て、任天堂がメモリをプレゼントしてくれ、結果として製品版のように 240匹まで保存できるようになった、もしこれが30匹までのままだったらポケモンはもうすこし 面白くなくなっていただろう」
などといった話がある。これらについても非常に興味深いのだが、いちいち僕の意見を書いても つまらない ことしか書けそうに無いのでやめておく。

 しかし僕がどうしてもこれだけは言いたいことがある、それは 「ポケモンというのは限りなく『ゲームの理想形』に近いシステムである」ということである。
 これは、6年も制作にかけているということからもうかがい知れるが、 それ以上に、ポケモンのヒット以降に、ゲームボーイでポケモンのマネゲーが 山のように発売されたが(パッケージを分けるゲームが以上に増えたという事実、 戦闘画面のレイアウトがそっくりなゲームが多かったという事実、その他)、 それらがことごとくポケモンを超えられなかった、 そのくらいポケモンが「新しいアイディアを加えられないくらいに妥協をせずに作り上げたシステム」 であることを考えての意見である。
また、「完成系に”近い”」という表現を使ったのは、 もしこのゲームが「完成」していたら続編なんて生まれるべくもないが、続編が予定されているから、 といったニュアンスで使っていることを断っておく。

●もう少し任天堂まわりの話

(ここも、すこしむずかしい話です)  とまぁ、前節では「ポケモンは任天堂だから実現できた」というニュアンスの話をした。 それは僕としては否定する気はさらさらないが、忘れてもらっては困るのは、「ポケモンは ゲームフリークと任天堂とクリーチャーズが作っている」のであり、決して任天堂一社で 作っているのではないということだ。特に田尻智はゲームフリークの取締役であることは 忘れてはいけない。そして、僕がここで任天堂を偉いと思うのは、「 きちんと製作会社の名前を出している」ということである。 ゲームボーイのオープニングできちんとこれらの会社の名前が出てくるのだ。また、 著作権表示にもきちんと表示されている。
 今のゲーム業界では、販売会社の名前だけが有名で、開発会社の名前があまり出てこないゲームが 多いが、ポケモンはきちんと製作会社も表示しており、製作会社の権利と責任を認めているのである。 これは、ソニーのやり方(製作者の名前は出さない方針で売る)とは逆である....が、 ここでは「開発者の権利と責任」なんていう重苦しい議論をしているのではないから細かい話は 避ける。
しかし、今アニメでも主人公の名前が「サトシ」であり、田尻智は小学生なら誰でも 知っているくらいの名前になっているが、これは任天堂がもし開発者の名前を明かしていなかったら こういう風にはならなかったと考える事が出来る。

 と、まあ、ここまで任天堂をほめちぎったわけだが、僕はやはり任天堂に100%信頼感を 寄せているわけでもないので、今度はちょっとだけ批判的な文章も書いておく。まあ、僕の 任天堂に対する愛の裏返しだと思ってください。
 任天堂はポケモンで成功したし、任天堂スペースワールド97では、山内社長が ポケモンのことを取り上げて、散々他の通信ゲームと比較して褒め上げた挙げ句(例えば、 「ポケモン以外の通信ゲームは相手の顔が見えない。相手の顔が見えない通信ゲームは いけないのです」とか。)、「ポケモンは任天堂だからこそ出来たのです」 という話をしていた。実際これらの文脈にはあまり反論はない。
しかし、山内社長はあたかも自分がポケモンが大ヒットすることを予測していたかのように 話をしているようだが、実際は96年の任天堂のホープといったらニンテンドウ64の方であり、 ポケモンの方には殆ど目が行っていなかった、という話を聞いている。  そして「あまり期待されていなかった」という事実は、初回本数がわずか18万本 だったということを見ても容易に分かるのだが、いかがなものか(^^;(注:この時期でもまだ、 「マリオのピクロス」のようにゲームボーイのミリオンセラーはあったので、それにくらべて この数字はかなり少ないといえる)。  にもかかわらず、「発売前から売れると分かっていた」みたいな顔をして堂々と喋る山内社長、 僕は好きですよ、彼。でも、来年(2000年)、社長をやめるんでしたっけ、 ちょっと残念ですね。もうあのやくざ顔をした社長の顔が見れなくなるなんて(※3)

そして他でもないこのポケモンのおかげで、ニンテンドウ64が不振だった任天堂が、それでも 異様な黒字を維持しつづけたのである。山内社長は、「ニンテンドウ64が売れなくても 我が社にはx千億円の貯えがあるから全く問題無い」(xの中身は、年々毎に増えている)という 実に強気の発言を続けている(任天堂は無借金経営である。これは日本の企業としては本当に 特殊である)。僕はこれ自体は全く問題ないと思っている。
しかし、僕が疑問に思っているのは、99年5月の現在、64やゲームボーイでポケモン関係の ゲームばかり出しているという事実である。今僕がそらで思い付くだけでも「ピカチュウげんきでちゅう」 「ポケモンピンボール」「ポケモンスタジアム2」「ポケモンカードGB」「ポケモンスナップ」、 さらにピカチュウとプリンが出てくる「スマッシュブラザーズ」と、 去年の暮れからずーっとこういうゲームばかりである。
まぁ、確かに「ポケモン金銀発売の前にユーザーのテンションを上げよう」って戦略があることは 僕にも分かるし、「ポケモン金銀が出る前に、151匹しかポケモンが出ないソフトは出してしまおう って戦略が同時にある事も分かる。でも、出しすぎだって....。僕はもうこのリストの中のソフトは 「ピカチュウげんきでちゅう」くらいしか買っていない。しかし、今週のファミ通を見ると、 ゴールデンウィーク前後の売り上げTOP30が載っているが、ゲームボーイとN64でシェアの6割を 越えているのだが、それらの売り上げは殆どが上記のソフト達の売り上げであった。
これじゃ「ポケモン頼りの任天堂」って言われても仕方が無いんじゃないかと思うのだが.... もっとも別に言われても当の任天堂は全然かまわないのかもしれないし、何よりもそんな風に 批判している人間も結局は「面白そうだ」と言って買ってしまうのが任天堂のソフトなのだが。

(↑ここまで、すこしむずかしい話です)

●小学生とポケモンのことで話があうようになった

 ついに今日に至るまで、小学生達に「やぁ、君もポケモンやってるの?僕と交換しようぜ」みたいな 話は出来ないでいる。でも、やってやろうと思っている。

 そういえば、公園でゲームボーイカラーをしていたら、幼稚園くらいの男の子が寄ってきて 覗き込んできたことがあった。そこからポケモンなどの話が30分くらいはずみ、楽しい時間を 過ごせたことがあった。
これを読んでいるみなさん、公園でゲームボーイをやっている大人のひとを みかけたら、ぜひ君たちの方から声をかけていってください。大人の方は、 「誘拐犯人とまちがえられたらどうしよう」とかしんぱいするので、 なかなか子供に声をかけられないのです。

●そして今、金銀の発売が延期され続けているけど

 最近、金銀の発売が99年6月からまた延期される、という話を聞いた。まあ、とはいえ「夏」 だし、「ルギア爆誕(今年のポケモンの映画)」までには発売するという話なので、 あまり心配はいらないと僕は思っている。
 そもそも1を制作するのにかかった時間は6年だということを考えると、「許してあげようよ」って 感じになる。でも、ゲームフリークってさぁ、プレステで「クリックメディック」とか作っていたよね。 これ、田尻さん関係していないの?もしそれが原因で遅れているとしたら嫌だけど。

そして僕は、金銀が出たら、今度こそ僕の方から小学生達に声をかけようと思う。 「ねえ、君も金銀やってる?僕と交換しない?僕は夜行性だから、夜に出るポケモンを沢山持ってるよ」 とか言ってみようかとおもう。でも、やっぱり誘拐犯だと思われるかもしれない....うむ、だって 今の子供は大抵「知らない人に声をかけられたら逃げなさい」とか親から言われているかもしれないから。 うーん、ポケモンやっている人に悪い人はいない、って事に出来ないかなぁ....。

この事に付いては今から綿密に計画を練ろうと思っている。 そういうわけで、もしこのページを見ている小学生の子供達に、一言。 もし君の元に20歳くらいのお兄さんが 突然ゲームボーイを持ってきて「ポケモン交換しない?」と言ってきても、逃げないでね(^^;。


(注釈:

(※1)ゲームボーイもファミコンと一緒の運命
ゲームボーイというのは、発売当初はよくファミコンとの類似性が指摘されていた。音源が似ていると いうことや、画面が4段階で、ファミコンの「1スプライト4色まで」と似通っていた、 ということなど。
実際に、当時の任天堂はゲームボーイとファミコンで同じタイトルを発売していた時期もあり、 それらの例として「ドクターマリオ」「ヨッシーのたまご」などが挙げられる。

(※2)新ゲームデザイン
エニックス出版。初版1996年1月1日。この本は、本文にもあるように田尻智の個人的経験に ついて書かれており、非常に興味深かった。例えば 「ファミコンソフト(クインティというタイトル)をインディペンデントで作った。 これは当時例の無かったこと。勿論開発機材なんかなくて、大変だった」 といった話があったりする。これはハード系のプログラマの間ではもはや伝説となっている。
それとこの本、表紙がRPGのマップパーツのような模様で構成されている。買った当時は 「何のRPGのつもりだろう?」と疑問に思っていたのだが、今では恐らく「ポケモンを作るときに 制作途中で没にしたマップパーツなんだろうな」、と(個人的にだが)確信するに至っている。

(※3)やくざ顔をした社長
山内溥社長のことである。この社長に関する話はとにかく書こうとしても尽きることがないくらい 凄い。新電子立国がインタビューに来たとき、インタビュワーの知識のなさに腹を立て「あなたも まったく分かっておらん」とか言ったり、「あんなマシン(3DO)が売れたら私は社長を やめます」とか、凄いことを言っていた。他にも「ゲームオーバー」という任天堂の歴史を 書いた本を見ると、山内社長の生い立ちも載っているが、もっと凄いことが山ほど書いてあるので、 興味がある人は必見(ひとつだけ例を挙げると、 「任天堂の社員が労働組合を作ったとき、小指がないような人たちを呼んで組合を解散させた」 といった話とか。とにかく凄すぎ)。どうでもいいけど、「溥」という名前が読めない、という 人が多いみたいですね。僕もここでは読み方は書かないことにします。



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