マザー
ジャンル:RPG
ハード:ファミコン
メーカー:任天堂
定価:?
発売日:?
備考:
ゲームの内容:
●息の長いRPG
「エンディングまで泣くんじゃない」というキャッチコピーをひっさげて登場した
赤いカートリッジのゲーム、それがマザーであった。それから既に10年だが、それでは
もはやこのゲームは皆の記憶から忘れ去られたゲームであるといえるか?断じてNOである。
「ファミコンの名作ゲーム」といったら、大抵必ず名前が挙がるゲームであり、
「今、ゲームボーイカラーに移植して欲しいゲームは?」という質問に対してトップに
位置するのがこのゲームである(まぁ、マザー3が出るまでは無理そうだけど)。
未だに、「作家性とゲーム性」ということで、いろいろなゲーム論でも引き合いにだされる
ゲームであるということも忘れてはならない事実である。
以上のことだけを見ても、相当息の長い事を感じさせるが、
実はこのゲーム、一つだけ信じられないことを成し遂げている。それは、ファミコン通信
(現:ファミ通)のインプレッションでマザー2が取り上げられたとき、その隣のページで
取り上げられていたのである。つまり、ファミ通のインプレッションで、何と6年も
前に発売されたゲームが取り上げられたわけである。僕はファミ通を創刊号から読んでいるわけでは
ないので断言は出来ないけど、恐らくこれは一番古いゲームを取り上げた記録だと思う。
でも、実際にマザー2をやったあとで1を再びプレイしている人が多いみたいだった。かくいう僕も
当時は受験生だったのでさすがにしなかったが、その後1をプレイしている。
そういえばマザー2のゲームの中にも、「任天堂おおあわて、昔のマザーがおおはやり」という
メッセージが入っていたのである。これは、どこかのホテルに泊まったときに朝読んでくれる新聞に
書いてあるのだが、やはり予測していたというわけね(^^;。
そして、僕は最近、マザーのことで「ここがわからないけど教えて欲しいです」という質問を
受けた。どうやらその方は僕のマザー2の文章を読んでくれていたそうで、(僕は、自分の文章なんて
恐らく誰も読んでいないと思っていた、だってここ、相当閉鎖的なページだから)それで
マザー2をプレイして、その後1をプレイしていたらしい。そして僕もそれがきっかけで1について
いろいろ考えるようになっていた。そしてまさにその理由でここに「マザー」のレビューを
付け加えることにしたのである。本来なら、1年以上も前にプレイしたゲームのレビューを今
書くと言うのもどうかと思うけど、もうマザーは僕の思考回路の一部だからいいでしょ(微笑)。
●公式ガイドブック
既に現在、僕の家のファミコンはいかれてしまっている。そういうわけで新品を買い直そうとか
考えてもいたのであるが、考えてみれば2年前にやっていた。
さらに公式ガイドブックはしょっちゅう読んでいる。特に頻繁に読むようになったのは、ここ
3、4年の話である。そういえばその昔、マザー好きの友達がいて、その友達が僕に、
「マザーの公式ガイドブックあったでしょ?あれ、貸してくれない?僕あの本好きだから」
という話をしていた。そのころはあまり僕自身は興味が薄れていたので、どうぞ、って貸しつつも
「どうして今ごろ、プレイするのでもないのに読みたがるんだろう?」と不思議に思っていたのだが、
そんな僕が今、こうやってしょっちゅうこの本を読むようになっているのだから、世の中分からない。
●音楽CD
これも僕は持っているが、
何と多くの曲にボーカルが(英語で)ついているのだから驚く。
ボーカルが付いていない曲は「インストゥルメンタル」なのだが、
ゲーム音楽のCDで「インストゥルメンタル」って言葉が出てくるとは思わなかったぞ。
●成長するということ
久々にプレイしてみると中学生のころさらりと流していたところで大きなショックを受けた。
特に「君のキャッシュカードを貸して欲しい」というマジカントの人とか、
イースターの街の子供達とかイブが爆発するときとか....
見えなかったものがどんどん見えてきて凄いものを感じた。
●三丁目の夕日
なんか、マザー1に感じられるものといって最初に感じるのは「ノスタルジア」である。
マザー2のレビューを以前書いたが、あちらは「現代」というイメージであるが、マザー1は、
明らかに一種のノスタルジアを感じる。特にその特徴がもっとも顕著なのは、「バレンタイン」の街
である。
マジカントにしても、1ではいつでも好きなときに行けるようになっている。なんか白昼夢みたいで
よくよく考えるといやになったので(これも中学校のときのプレイでは全く考えず、「マジカントに
いけばただで回復できるから宿代がうく」とかそういう風に考えていた)、なるべく行かないように努力して
現実に直面している僕がいるが。閑話休題、そんな風に1のマジカントっていうのは夢の世界であり、
どうしても昔の自分の心の中にあったもの、そしてそれが自分の手元にある、って感じがするので、
そういうこともあいまって、「ノスタルジア」が強く感じられるのだと思う。
そして、僕は「三丁目の夕日」という漫画のタイトルを出したが、これもノスタルジアをウリにしている
漫画である。個人的にこの世界観が大好きでコミックスをそろえたのであるが、昭和30年代を
テーマにしているのである。考えてみればアメリカの方のノスタルジアにしても、バレンタインに
あるような50〜60年代であり、この時代と見事に一致する。言ってみればこの時代は戦後のいざこざが
おさまって、でもまだまだ貧しさが厳然として存在していて、そんな中で頑張って生きていっている
人間の姿というのが非常に輝いていた、って事なんだろうな、と思う。そして
そのことが見事にマザーにもいえているんじゃないか、と思ったのである。
これ、理論としては多少強引な気もしたけど、あえて感情的に思ったまでをかいてみた。
●スタンドバイミー
よく、マザーを出すときに引き合いに出される映画である。そういえばポケモンでも、主人公の家の
テレビを調べると「おとこのこが4にん線路の上をあるいている、ぼくももういかなきゃ!」と出るが、
明らかにスタンドバイミーを意識している。
もちろん、ここでの共通項は、「少年(少女)の冒険」ってことなんだけど、やはりこれが
注目される理由って言うのも分かる気がする。やっぱり今の日本にいる限り、なかなかそういう冒険って
出来ないものだと思うから。
●ふたたびいろいろとかんがえさせられた
しかし、あのラストだけはやめて欲しかった、とは思っている。最後の敵を倒したらすぐに
スタッフロールっていうのが、いやである。どうやらアメリカで出ている英語版マザーである
「Earth Bound Zero」には、きちんとエンディングがあるらしく、そこで主人公の父親の
姿が見られる(!)などという話を聞いたが、未だに僕は確認していない。でも、僕はそうと知ったら
それをせずには死ねない。
(注釈:
)
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