ゲームの内容:何につけてもやる気のなさ丸出しの高校生達が、ある日の放課後、掃除中に
奇妙な本を見つける。そこには魔方陣のようなものが描かれていた。
そこから飛び出した魔物は、生徒会の会長通称「のび太」を始めとした役員達の体を
乗っ取り、主人公達に襲い掛かってくる。
主人公達は「あー、もうやってられねー!」とやる気無さげに、なんとか事の収拾を付けようと
乗り出すのである。
主人公も無気力なら敵もかなりぶっ飛び系。敵味方の区別無く凄まじい口喧嘩が繰り広げられる
注目のシミュレーションRPG。
まず最初にお断り。このゲームは一言で言うと、「ドタバタなギャグを楽しむゲーム」
であり、個性が強すぎるやる気の無い高校生達の漫才にも似たトークが純粋に
楽しめるゲームであるし、一切の理屈抜きに楽しむのが一番の正攻法だと思うのです。
でも、レビュアーは僕です。
僕はパラノイアンズに思想性や哲学を感じてこのゲームをレビューしているのです。
このゲームをプレーして、理屈抜きに楽しんだ人にとっては、きっとこのレビューの
ポストモダンだとかアパシーだとか妙に構えた姿勢にとんでもない違和感を感じるに違いないし、
作者の焼城ユブさんが読んだらきっと彼女は、
「このお気軽なゲームのどこをどうやったらこんな理屈っぽい
レビューが書けるんですか?」
と心の中で突っ込みたくなるに違いないと思うのですが。
そういうわけで今回のレビューは、プレーしていない人がゲームを選ぶ際にはあまり 役に立つとは思えないのですが、プレーした人に向けて、貴方が感じたこのゲームに対する印象を根底から覆す目的で読むのがいいと 思うのです、はい。
まず、パラノイアンズの背景に僕は、後述する深い思想を感じ取ったのですが、
そういう理屈はおいといて、まず大事なこととして、このゲームが純粋に
ゲームとしてプレーしていて楽しいということです。
僕は実はシミュレーションRPGをやったことがなくてこれが初プレーのS・RPGと
なるので、難易度とかについて詳しいことは言えませんが、そんな僕でも毎回戦闘の最初に
セーブして数回やり直せばどうにかなっているくらいなので、かなり遊べる方だと
思いますし、楽しかったです。
アイテムや装備が「クリームパン」とか「バスケットシューズ」とか、日常的なのも
かなりいいです。とはいえ、高校生なのにどうしてあんな技がつかえるのだ、
オカルト研究会のあいつ(「葉山要」って奴)。
なるほど、大笑いして楽しませてもらいました。ゲームのモニターに向かって
「なんでやねん!」とか「それはちょっと違うだろう!」とか、敵味方の区別無くツッコミを入れていた僕がいました。
いやはや、このパンキッシュなセンスにめろめろです。
また、グラフィックや演出も特筆すべきでしょう。
コンテストパークに新風を吹き込んだ、
とも言える独特で個性のあるキャラクター達、
そして彼らのとんでもなく馬鹿らしくて笑えるが意表を突いたトーク、
そしてとんでもない方向にどんどん話が進んでいくにもかかわらず、
いっこうにやる気が出ない主人公達と、
どっかネジが外れているとしか思えない敵キャラ達。
まさに、仲間も仲間なら敵も敵。
味方についてくれる妖精も、彼らのノリに流されてしまったのか
相当に軽すぎ。
とにかく、彼らの一挙一動、やる気無さが端から見ていて楽しいのです。
そう、「やる気の無さ」。これが新鮮です。
主人公達は「巻き込まれていく」のであり、そこにはいかなる主体性も感じられません。
こういう現代人的「やる気のなさ」がよいのです。
やる気がないゆえに、当然彼らの表情には達成感が感じられません。
逆に失敗しても、当然絶望感も感じられないのがさっぱりしすぎています。
それは、戦闘でキャラがやられたときの台詞にも象徴されています。
普通ならHPがゼロになったとき、「無念」「こんなところで....」とでも
いうものなのでしょうが、このゲームのキャラは
「あー、もうやんなっちゃう」「いちぬけた!」などと
実に逆切れ状態で去っていくのです。
まさに「仕方なくやる」主体性のなさ。見ていて最高におかしいです。
・・・・しかし、です。僕はこの「ドタバタした楽しさ」の裏に、 「現代の高校生の持つ深層心理」のようなものをそれとなく感じ取ったのでありました。
さて、話はパラノイアンズから少しずれますが、
現代の高校生は何を求め、どういう状況の中を生きているのでしょうか。
いろいろと聞きますが、その中のキーワードの一つに、
「没個性の中の個性」という言葉を耳にします。つまり、
みんなが同じようなことをしている中で、
自分もそれと同じ事をしつつ、その上で自分の個性を主張しよう、
ということなのです。
皆が同じような携帯電話を持つ中で、各人がストラップやシール、そして着メロに
凝って、マイ携帯を作ってみるような姿勢、これがまさにそれです。
閑話休題、前述したパラノイアンズのキャラクターの持つ個性も、
この「没個性の中の個性」の延長線上にあるものだと感じました。
猫耳の男(僕は最初女の子とばかり思っていて、かなり鼻の下が
延びていたのですが、一人称が「僕」なのを知り、愕然としました(^^;))や
銃刀法にあからさまに抵触しそうな男もいますが、基本的に彼らは普通の制服を
着ているうえ、学校にある、ありふれていて凡庸なものをうまく取り入れており(没個性)、
それでいてそれらを活かして見事に自分の「個性」としているのです。
これこそが彼らの「没個性の中の個性」であり、
彼らはそれぞれ違う部に所属し、その個性を最大限に活かして戦います。
すなわち仲間との会話において自分の重要な役割を殆ど見出していない彼らが、
戦闘中には自分の個性を活かして戦うことが出来る、
まさにそこに「自分の居場所」を見出しているかの様に感じられます。
一方でプレイヤー達は、きっと現実生活ではみんなと同じような事をしており、
なかなか自分の「個性」を出すのが難しいのです。
それゆえ僕たちは、パラノイアンズの濃すぎるキャラクタに自分を投影しつつ
「ああ、俺も薔薇を投げてみたい」などと思い、
「自分の居場所」を見出している彼らを愛するのです。
「自分の居場所論」がのってきたところで、さらに話をヒートアップさせます。 それでは「自分の居場所」とは何なのでしょうか。もう一つの見方をすると、 すなわち「誰かの役に立つ人間になりたい」ということだと思うのです。
現代の若者に対するとあるアンケートの結果で、「人の役に立ちたい」と答えた人が 8割以上にも上っていた、と聞きます。一方で彼らのように「でもどうすればいいのか 分からない」人たちが多いのでしょう。「人の役に立つ」ことによって「自分の居場所」 すなわち自分の存在意義を確立したい、という思いは、社会の一員として生きている 人間なら、とても自然な感情です。今は、それがとても難しい時代であり、 どうしても刹那的な自分の存在意義を見つけながら苦心惨澹(さんたん)しつつ生きていくしか ないのかなあ、と悩んでいる人が多いのでは、と思います(私もその一人ですが)。
そういう意味で、僕たちがパラノイアンズのキャラクタに惹かれるもう一つの理由は、
彼らが個性を生かしつつ、その上で曲がりなりにもパーティーの役に立っているところにあるのだと思うのです。
前述の通り、馬鹿らしい話をしつつ、バトルになってもいっこうにやる気を出さない
彼ら。でも、取り敢えず、取り敢えずはパーティーに貢献している。
そういったトラッシュ(クズ)同然の彼らが「ちらりと見せる本気」が彼らを非常に魅力的にしているのです。
とどのつまり、僕がパラノイアンズをやりながら感じたのは、始終こういった
「ああ、こいつら、やる気も無く、それでも自分の居場所を探しつつ、刹那的に見つけた
自分の居場所を大事にしながら、生きていっているんだろうなあ」ということです。
そんなやる気のない彼らが、「やりたくない」と言いつつも戦っている勇姿に、
「ま、少しは何かの役に立っているかも」「どうせ本気が出せるのは今くらいだから」といった
無気力な本気、でも本気だけどやっぱどこか無気力を感じ取ることが出来、その曖昧さが僕たちの共感を呼び、何よりの魅力と言えるのです。
以上のように、「パラノイアンズ」は表面的にプレーしてもノリが良くて爽快で楽しいのですが、 僕のような人間がプレーすると、全く違った視点が開けてくるのです。 しかし、ここで明言しておきたい点として、「そういう視点で見たとき、 パラノイアンズは問題提起で終わっているのではなく、ブレークスルー(突破口)も 同時に提供している」という点なのです。
作者のユブさんは、現役の高校生であると聞きます。そしてそれゆえに現代の高校生が
暗に持っているセンスとか気持ちなどを、このゲームに意識せずとも入れることが
出来たのだと思います。きっと彼女自身はこのような「居場所を探す高校生の姿」に
ついては意識しておられないと思うのですが、然るべき人がプレーすると、そういった
高校生的オーラを感じ取ることが出来るのだと思います。
そして、そのような「満たされない部分」を持つ人は表には出ないだけでかなりの数
いると思うのですが、そのような人たちに対してこのゲームが投げかける答えは
「そんなに深く考えずにいこうよ、
今が楽しければこれからも楽しくやって行けるから」
というスーパー楽観論的な、そして実にポジティブな
ものであると言えます。
いろいろ考えても仕方がない場合、「何も考えずに気楽に行く」ことが一番の正解、
ということだってあるのです。
宮台真司は、意味の無い世の中では、その時その時を楽しむ「強度」を生きることこそ
重要、と説きました。そして、まさにこのゲームの主人公達は無気力を自覚しつつ、
「強度」の中を生きているといえます。
そして何といっても、そうやってドタバタしつつも、取り敢えずどうにかなっているじゃないという開き直り、これこそがこのゲーム全体に
見え隠れする主題であるように僕には思えました。
そういう意味でこのゲームは、現代社会に思い悩んでいる中学生、高校生達へ、
「もっと肩の力抜けよ」というメッセージを投げかけてくれる秀作といえるでしょう。
そう、いろいろと思い悩んでいる中高生達よ、宮台真司の「人生の教科書」なんて読むより前に、このゲームをプレーしたらどう?
続編(パラノイアンズ2も既に出ていて、こっちも大好評ですよ!)
はもっと凄いらしいよ。僕も暇があったらプレーしてみるから。
・・・・と、タイムマシンに乗って、
高校3年のころの僕に会いに行き、言ってやりたくなりました(爆死)。