さすけの自己紹介2002年7月版


最後に自己紹介を書いたのは 1999年であった。時間が開いているため、 書こうとずっと思っていたのだが、僕の性格はアメーバのように現在進行形で あり方が変わり続けるため、捕捉するのが困難である。

取り敢えず「2002年7月1日版」と称して現在の自己紹介を記す。 しかし、次の日には僕は別の人格へと変貌している可能性が大きい。

更新記録:(03/08/12) a-spectrumに新しくリンク。

そもそも自己紹介とは何か

まず、最初に、以下の文章を読んでもらおう。
僕のハンドルネームは神無月サスケであり、昭和51年10月3日生まれであり、 福岡県福岡市在住である。大学院生で、情報系(すなわちパソコン関係)の学科に所属している。

さて、以上は一般的な自己紹介である。しかし、これで僕の何がわかっただろうか。 はっきり言うべきだと思うが、以上の情報は履歴書を見ればわかることである。 自己紹介は履歴を書くのではなく、自己を紹介しなければならないはずである。

確かに、上の情報があれば、「そうなんだ、福岡出身なんですね、私の妹も 福岡の大学に行っているんですよ」とか、「明太子ポッキーおいしいですよね」とか、 それなりの会話は弾むであろう。
初対面の人に5分でする当たり障りのない自己紹介ならそれで十分であろう。 しかし僕が求める自己紹介の理想とは程遠い。

また、以下のような自己紹介も同様である。
食べ物については好き嫌いはないが、最近では吉野家の牛丼をよく食べます。 最近よく聴く音楽はモンゴル800。最近、『島唄』も買いました。

確かに一段階踏み込んでいる点で評価は出来そうだ。 たとえば『モンゴル800を聴く』というところから、様々な趣味や価値観が 想像できそうであるからだ。
しかし、これでもまだ不十分であると考える。本人の『自己』を 紹介する上で大切な何かが決定的にかけている。

それでは、その『何か』とは何か。残念なことに、具体的な言葉で あらわすことが出来ない概念なのである。そこで、「私はこのような自己紹介が よいと思う」ということを、具体例によって、あらわしてみようと思う。 それが今回私が自己紹介を書くことにしたきっかけである。
皆も、これを参考にして理想の自己紹介を目指してほしい。


友達が少ない

僕はどうしても一部の人と濃い付き合いをするが、 その分、普通の友達というのは少ない。 本当に分かってくれる人とだけ付き合っている。

ばか騒ぎするだけの友人なんて、 どうしても苦痛で仕方が無いが、そういう友達の多さが 最近のステータスになっているというのが凄く不可解である。 しかし一方で、夜中に淋しくなって泣き出しそうになる。孤独を 感じたりもしている。濃い友人はなかなか会えないことが多い。 要するに僕は太く短い対人関係を続けているわけだが、 細く長い関係よりずっといいと思っている。 ちなみにどのような付き合い方かというと、 「社会問題について濃い議論をして、それで喧嘩別れした 経験もあり」というくらいだ。全く悔いはない。
ちなみに、このような濃い関係の友人も、前述のような理由から 長続きしないことが多い。 太くて長い関係を10年続けているのは一人しかいない。彼は 小学校以来からの親友であり、長続きしている無二の親友であるため、 彼とは仲良くやっていこうと思っている。
どうしても一般的な対人関係が 築き上げられず、同窓会の類には極力出席しないようにしている。

「分かってくれる一部の人」以外の僕の評価

中学校や高校生のころのことがよくフラッシュバックする。
「一緒にいるとなんか疲れる」
「きさま、どっか行け」
(まじめに話をしたのに)「うるせえったい、こいつ」
「いるだけで粗大ごみ」
僕は、中高生時代、こんなことを言われていた。というかこういうことしか 言われた記憶がない。 他、いろんなことを言われたなあ。最近ではさすがに 言われないが、大人だから言わないだけで、率直に言って こんな風に思われているのだろうな。

今は落ち着いているから冷静にこういう事を書くことが出来るが、 過去の嫌な経験がフラッシュバックするときの苦痛は耐えがたいものがある。 机を激しく叩いたり大声を上げたりしてしまわずにはおられず、 周囲の人間に迷惑をかけることも多い。何とか自制するようには しているが、それでもたまにやってしまう。

そういうわけなので、「同窓会には出ない」の理由は分かって もらえたであろうか。一応弁護しておくが、僕も客観的に見ると 十分「嫌な奴」だったのであり、彼等が悪いという訳では 必ずしもない。ただ、お互いのために会わない方がいいということも 世の中にはたくさんあるわけで、今回はまさにその例でしょう。

そういえば、昔パソコン通信時代にメールのやりとりをしていたとある方が、 「機械の説明書や保証書は、AMラジオの1枚の説明書さえも大切に とっていますが、中高生時代の卒業アルバムは焼き捨てました」と いうことを言っており、非常に共感したものです。彼は今元気だろうか。

そういうわけで最近はあまり積極的には口を開かないようにしている。 「聞き上手に徹することも大切ですよ」というある人のアドバイスに よるものだ。

ムンホイとは何だったのか

この自己紹介を見に来た人の中でムンホイのことを知らない人は 多くないと思うが、サーチエンジンなどで飛んできて知らない人もいると思うので 説明しておくが、僕が作った幼稚園児が主人公のRPG 「Moon Whistle」のことです。

僕は「思考回路がよくわからない」と言われていたが、ムンホイを 作ってからは言われなくなった。ムンホイをプレーすることによって 「思考回路のわからなさ(いかに不可解か)」がよく分かるわけです。 実際プレーしてもらえると分かるのですが、分かったようで分からないゲームです。

なぜ不可解なのでしょうか。そこで僕なりに考えたのですが、 僕が総論主義者であることが原因かもしれません。 つまり、何かをテーマに作るのではなく、森羅万象をテーマに 作る主義であるということです。

よってムンホイはかなりすごいことになっています。 幼稚園児が主人公ってことで 「ほのぼの系」として雑誌なんかでは紹介されています。 そういうコンセプトだけで一本つくればいいのに、「とにかく ギャグもシリアスもナンセンスも全てをぶちこまないといけない」という 半ば強迫観念のような執念のもとに、全てが詰め込まれています。
通常、「幼稚園児が主人公のゲーム」と「若者が自己の内面の 問題に悩むゲーム」が作りたくなったら、普通の理性を持っているなら 2本に分けて別々のゲームを作ります。僕は普通じゃないので、 まとめようとしたわけです。結果どうなったかは、ムンホイという 化合物を見てもらえれば分かると思いますが、 どう考えても水と油を混ぜたようなシュールさが感じられます。 牛丼とカルピス、どちらも美味しいからといって、普通は混ぜません。 ムンホイは、どう考えても混ざり合いそうにないものを あえて混ぜ合わせてしまったような感じが未だにしています。 あの凄まじい設定は、こういうところから来ているのです。

だから、シナリオで付いていけない人がいるとしたら、明らかに 「むちゃくちゃな混ぜ方をした」点に原因があるといえます。 ただ、これから先もむちゃくちゃな混ぜ方をしたシナリオに なっていくと思います。ついてこれる方だけついてきてください。

一部の濃い人に分かってもらえれば、と思っていたので、 現実にそのようになってくれたことは本望です。幸せ。

ムンホイと似ているもの:ポリゴン麻雀ゲーム

僕のゲームについて「誰もが思い付きはするけど普通はやらないことを 敢えてやったものだ」と言われたことがあります。

プレステの黎明期に、ポリゴンの麻雀ゲームが出たことがあります。 (名前は確か「MAZIN」だったと思います。) 麻雀卓を囲んで、キャラ達がポリゴンでツモったりするのです。 発売当時は麻雀の本編の方も良く出来ているし、ポリゴンのアニメーションも よく動くしなかなかいいのではないか、と言われていましたが、 「よくまあここまでやるわ」と半分呆れてしまうのも事実です。

ムンホイというのも、これに多分に通じるところがあると思います。 ある意味トンデモゲームなのですが、すれすれのところで 一般的なゲームの範疇に踏みとどまっているような、いや、 もう既に一線を越えてしまっているような気がしなくもない、 そんな微妙さが、まさにジャストミートと申せましょう。

趣味:(当たり障り無く)読書

趣味は読書。非常に当たり障りのない趣味のひとつだ。 しかし、僕は読む本が皆と、ちょっと違う。
小説の類を全く読まないんです。
じゃあ何を読むのか。
本棚を見ると、自閉症関係の本、 情報工学(特に知識工学)の本、ゲーム(任天堂のビジネス哲学など)関係の 本、ビジネス書などが目立ちます。
なぜか子供もいないのに教育関係や育児関係の本があります。
一人の本棚とは到底思えません。
漫画も興味ありません。ドラゴンヘッドやカイジなどは勧められて 読みましたが、こういうのは面白かったです。
完全自殺マニュアルも常備しています。

アスペルガー症候群

さすけは、アスペルガー症候群であるとの診断を受けた。
アスペルガー症候群は、SEとかプログラマとか、 情報系の人が多いらしい。実際、かの有名なビルゲイツも アスペルガーではないか、と言われている。

声の大きさの調節が出来なかったり、相手の表情を 読めなくてとんでもない迷惑をかけたり、原付で派手な事故を 起こしたり、独り言が多かったり。 全て当てはまってしまうので驚き。

「一緒にいると疲れる」と言われている、と書いたが、 どうやら僕は言葉で言われたことをその言葉の通りに解釈してしまうため、 僕の返答がどうしてもへ理屈のように聞こえてしまうらしい。 普通は、言葉だけでなくその時の場の空気を読んで文脈を理解するものらしいが、 僕はあくまでも言葉の流れのみから理解してしまうからであろう。 結果、学校の国語のペーパーテストなどの成績は悪くないのに 一緒に話すと、全然そりが合わない、ということになってしまうのだ。
いわゆる「場の空気が読めない奴」なのである。 結局僕は大抵の場合、話題から取り残されて一人ぼっちになっていた。 取り敢えず、熱心な人たちの助けによってようやくここまでは 問題点は理解できるようになったが、まだまだ先は長そうだ。

しかし一番驚いたのは、僕みたいな人が1000人中3人も いるという事実であろう(全人口におけるアスペルガー 症候群の推定比率)。

実は昔、「鬱ではないか」と考えていた時期があった。 しかし精神科に行くと、「そうではない」とのこと。 欝ネット(utu-net.com)にも行ってみたが、やはり僕はうつ病ではないらしい。 そういえば以前「変光星」という、自閉症の人の自伝を読んで、 非常に共感したのを覚えている。
「友達の顔が覚えられないので、服装を覚えることにした。 しかし、次の日になると友達は違う服を着てくるので、 意味が無いということが分かった」
「引越しをしたが全然興味がなく、ただ近くの公園にあった丸や三角や四角の 穴の開いた壁がなくなったなあ、とだけ感じていた。」
これらを読んで、皆はどう思われるだろうか。僕にとって これは自分のことのようによく分かる。 今ネットで捜すと、漫画が出ているらしい。 「この星のぬくもり」
作者さんのサイトも発見したよ。 自閉症納言

最後に:この自己紹介の注意

これでさすけの全てが分かったなどと思ってはいけない。 自己紹介というのは本質的に、 それ自体ではその人のすべては分からないものなのだ。

理由を説明しよう。
ここに書かれているのは、僕が自覚している範囲の、ほんの一部である。 その人の本当の自己というのはその人が自覚しない部分に 現れる部分が多いのであるし、その中の一部は客観的に見て 初めて明らかにされるであろう。また、自分にも他人にも発見されずじまいの 部分も多々あるのであり、これをいかに発見して行くかが これからの時代は大切になってくると思われる。
ゆえに、自己紹介は参考にすべきであるが、そこからさらに 観察が必要ということである。


付録:心のリンク

リンクのページで紹介するには少し濃いかもしれないが、 この自己紹介を読んで共感できた方には、本当にお勧めのサイトです。
ある意味、普段日常で会話する友達よりも深く心が通じ合えそう… 少なくとも僕はそうです。


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